石巻で被災した河北新報の桂直之さんと震災直後から連絡をとりあううちに、私でも何かできないかと考え、渦産業の木村万里さんの協力で、落語会を開くことにした。といっても、こちらの気持ちの押しつけになってはいけないし、実際、落語会を開けそうな、被害を受けなかった広い会場は、ほとんどが避難所になっていて、なかなか機会が見えてこなかったのだが、そろそろ出来そうだという連絡が来たので、7月1日、木村万里さんと会場候補の下見に行く。石巻に行くには、仙台で仙石線に乗り換えるのだが、津波の被害で、松島海岸から先が代行バスになるので、仙台から高速バスに乗ることにする。便は1時間に1本で、乗車の頃には満員に。バスは山側から石巻に入るため、片付けが進んだ町は、ところどころに積み上げられた瓦礫がなければ、ほとんど正常に見える。
最初に見に行ったのは、石巻専修大学。ここは、ボランティア・センターになっていて、石巻にボランティアに来た人は、ここで登録し、各地へ振り分けられる。広々としたキャンパスには、まだボランティアが寝泊まりするテントが幾つか。最盛期はいっぱいになったそうだ。大学は、震災の影響で新学期の始まりが大幅に遅れたため、夏休み返上で講義を続ける。そのため、借りられる教室があまりない。ここには森口記念館という大きな講堂があるが、ちょっと広すぎる。いっぱいの客席とガラガラの客席では演者のやる気も、盛り上がりも全然違う。そこはプロの万里さんに全面的にお任せ。会場を見た万里さんの頭の中で、あれこれアイデアが動き出すのが見てとれる。やっぱり石巻に来てよかった。
次に見に行ったのは、料亭竹の浦。ここは津波を免れ、いち早く営業を再開したところで、ご主人が笑いに関心があるとか。会場を見せてもらって外に出ると、入れ替わりに、お斎をするらしい喪服の人々がやってきた。まだまだ悲しみが続いていることを肌で感じる。
最後に、三陸河北新報社を表敬訪問。震災の話をうかがう。津波は2階まで押し寄せたので、社員の方々は3階に避難したそう。窓から見える自動販売機(↓)によじのぼって、塀づたいにビルに入って難を逃れた人もいて、三陸河北新報社が編集した写真集「大津波襲来」にそのときの模様が載っていた。震災後、しばらくは避難してきた近所の人達とビルの3階で共同生活をしていたのだそうだ。石巻は日日新聞の手書きの壁新聞が有名だが、三陸河北新報社は、記事のデータを入れたUSBを毎日仙台の本社に記者が持参し、仙台で印刷したので、震災後3日目から新聞を発行できたそうだ。
帰りは、桂さんの車で仙台まで送ってもらう。海岸側の道を通ると、まだ傾いた電柱や、1階がボロボロになった住宅が並んでいる。これを“復興”するのは容易ではないと思う。
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